修心流居合術兵法は平成17年(2005年)に、無雙直傳英信流町井派を改名して創流されました。
当流の源流となる無雙直傳英信流は、室町時代後期の永禄頃、奥州最上家の臣、林崎甚助源重信公が興した林崎夢想流(またの名を重信流)から綿々と続く古流居合術の一流で、江戸中期の享保頃、名手として名高き第七代長谷川主税助英信によって、それまで太刀業であったものを、帯刀した刀での業に改編され、流名は長谷川英信流と改められました。
第九代林六太夫守政が神陰流の大森六郎左衛門正光から正座の居合を学び、英信流にそれを組み込んだことから、正座の業に関しては俗に大森流と呼ばれています。
その後十二代より、業の解釈と抜き方の違いから、谷村派と下村派に分かれた英信流は、十七代大江正路の時に、大きく業を要約編纂し、無雙直傳英信流と名付けられました。
第二十代河野百錬を介し、それまで長く土佐山内家の秘伝御留流とされた英信流は、広く全国に広まることとなりましたが、河野百錬の死後、第二十一代継承争いが起こり、以降、分裂を続けながら現在に至っています。
当流の居合は繰り返される分裂の中で、失われた本来の古流英信流の姿を求め、当時全日本居合道連盟所属であった吉岡早龍伝の無雙直傳英信流を基に、町井勲が独自の研究修正を加えて再編纂したもので、数多の宗家乱立問題や、武術とはかけ離れた様式美ばかりを求め、刀剣に対する作法の欠落も目立つ現代の英信流居合のありかたに対し、常に刀を持つに相応しい心を持ち、純粋に古流居合の業を修業したいとの意向から、無雙直傳英信流町井派の名を捨て、志新たに流名を修心流居合術兵法(しゅうしんりゅういあいじゅつひょうほう)と改められました。
系譜
始祖 林崎甚助重信
二代 田宮平兵衛業正
三代 長野無楽入道
四代 百々軍兵衛光重
五代 蟻川正左衛門宗続
六代 萬野団右衛門信定
七代 長谷川主税助英信
八代 荒井勢哲清信
九代 林六大夫守政
十代 林安大夫
十一代 大黒元衛門清勝
十二代 林益之極政誠
十三代 依田萬蔵敬勝
十四代 林弥大夫敬勝
十五代 谷村亀之極自雄
十六代 後藤正亮
十七代 大江正路
十八代 穂岐山波雄
十九代 福井春政
二十代 河野稔百錬 ―――――――― 景山断士
二十一代 福井虎雄聖山 吉岡早龍
二十二代 池田隆聖昂 町井勲(町井派 後 修心流居合術兵法へ改名)